日本酒蔵『龍力』が造る、兵庫県『特A地区産』山田錦アルコールのクラフトジン 日本酒蔵『龍力』が造る、兵庫県『特A地区産』山田錦アルコールのクラフトジン

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龍力 播州姫路から 龍力 播州姫路から
  • 龍力 播州姫路から
  • 古くは播州杜氏(ばんしゅうとうじ)の総取締役として酒造りに従事し、
    1921年(大正10年)に兵庫県姫路市網干の地に酒造を創業しました。
    龍力の歩みは挑戦の歴史です。
    いち早く全量酒造好適米に取り組み、
    いち早く大吟醸酒に取り組んできました。
    「米の酒は米の味」を基本理念として酒造りを行っています。
    龍力・本田商店の酒造りは、
    日本酒の原材料になる米の厳選にあります。
    地元生産者の酒造好適米を、吟味するばかりでなく、
    玄米からの精米工程も自社で行っています。

    龍力・本田商店では、原料米の85パーセントが山田錦です。
    しかも、最高品質のものが収穫されると言われる
    兵庫県特A地区の山田錦だけを原料米としています。
    最高の原料を使用するだけでなく、
    山田錦の生育方法や生育環境まで研究を行っています。

    "良い酒造りは、良い米作り"という信念のもと、
    特A地区の中でもさらに土壌条件の良い農家との
    全国初となる専属栽培契約を行い、
    有機肥料・低農薬・への字型栽培・稲木掛け自然乾燥など、
    農家と共に最高の山田錦づくりに取り組んでいます。
    また、2018年まで、京都大学大学院の農学研究科土壌研究室にて、
    山田錦の土壌研究を行っていた。
    その研究によち、特A地区の中でも、地域によって、
    土壌の特性や成分が違う事がわかり、それらを酒造りに活かし、
    龍力ならではの山田錦テロワールを研究している蔵元です。
  • 古くは播州杜氏(ばんしゅうとうじ)の総取締役として酒造りに従事し、1921年(大正10年)に兵庫県姫路市網干の地に酒造を創業しました。
    龍力の歩みは挑戦の歴史です。
    いち早く全量酒造好適米に取り組み、いち早く大吟醸酒に取り組んできました。
    「米の酒は米の味」を基本理念として酒造りを行っています。
    龍力・本田商店の酒造りは、日本酒の原材料になる米の厳選にあります。
    地元生産者の酒造好適米を、吟味するばかりでなく、玄米からの精米工程も自社で行っています。

    龍力・本田商店では、原料米の85パーセントが山田錦です。
    しかも、最高品質のものが収穫されると言われる兵庫県特A地区の山田錦だけを原料米としています。
    最高の原料を使用するだけでなく、山田錦の生育方法や生育環境まで研究を行っています。
  • 龍力 播州姫路から
  • "良い酒造りは、良い米作り"という信念のもと、特A地区の中でもさらに土壌条件の良い農家との全国初となる専属栽培契約を行い、有機肥料・低農薬・への字型栽培・稲木掛け自然乾燥など、農家と共に最高の山田錦づくりに取り組んでいます。
    また、2018年まで、京都大学大学院の農学研究科土壌研究室にて、山田錦の土壌研究を行っていた。
    その研究によち、特A地区の中でも、地域によって、土壌の特性や成分が違う事がわかり、それらを酒造りに活かし、龍力ならではの山田錦テロワールを研究している蔵元です。
  • 取締役会長 4代目 本田眞一郎(右) 代表取締役社長 5代目    本田 龍祐(左)取締役会長 4代目 本田眞一郎(右)
    代表取締役社長 5代目 本田 龍祐(左)
  • 龍力「本田商店」
    創業ストーリー

    龍力㈱本田商店は、創業1921年。
    もともと龍力㈱本田商店は、小売りの酒屋さんだったのです。
    龍力の初代本田新二は、姫路市余部区上余部の造り酒屋の次男として誕生しました。
    新二は、明治の終わりの頃、播磨鶴のお酒を売るために、現在の地である網干駅前に、小売酒屋を始めました。

  • 龍力「本田商店」創業ストーリー
  • 龍力「本田商店」創業ストーリー

    龍力㈱本田商店は、創業1921年。
    もともと龍力㈱本田商店は、小売りの酒屋さんだったのです。
    龍力の初代本田新二は、姫路市余部区上余部の造り酒屋の次男として誕生しました。
    新二は、明治の終わりの頃、播磨鶴のお酒を売るために、現在の地である網干駅前に、小売酒屋を始めました。

  • 小売酒屋から造り酒屋へ

    網干駅は、当時、貨物列車が停まる駅でした。

    そこでは、近隣のたつの市の名産である揖保乃糸(そうめん)や龍野薄口醤油が、載せられていました。
    物を載せるという事は、降ろすものもあります。
    その一つが、「ビールや日本酒」でした。
    当時は、駅までそれぞれの酒屋が受け取りに網干駅まで取りに来ていました。 大変な作業です。

  • 小売酒屋から造り酒屋へ
  • そこで、酒屋さん達から、「本田君、駅に一番近いのだから、我々のお酒も受け取ってきてくれないか。」と声がかかり、よっしゃ、よっしゃの二つ返事。
    小売酒屋から酒屋へお酒を卸す問屋を営むようになりました。

    お酒を売る商売をする傍ら、近くの村の庄屋である糸九さんのお世話になり、米蔵の管理などをさせていただいていました。
    管理をしっかりしていたのが認められたのか、庄屋の主人に気に入られ、 「お米貸してあげるから酒造らないか。」とお声がけいただき、酒造りを始める決意をしました。

    そのような時に、龍野のカネヰ醤油さんより「お酒造りたいのであれば、清酒製造権利貸してあげる」と酒造権利を譲っていただき、酒造りを行うようになりました。
    1921年から清酒製造を始めたと記録に残っております。

  • 初代の人柄の良さから始まったお酒造り。
  • 初代の人柄の良さから始まった
    お酒造り。

    多くの人の支えにより始まった酒造り。初代の人柄の良さが出ているエピソードです。
    初代にならい、人の良さとチャレンジ精神を持ちお酒造りをしていきます。

龍力 播州姫路から 龍力 播州姫路から